目が覚めた瞬間に、スマートフォンの画面を見る。なぜなら、スマートフォンのアラームで目を覚ますから。それから、寝ぼけながらSNSのタイムラインを見る。深夜に届いたメルマガを読む。サブスクリプションサービスの音楽アプリを開いて、好きなアイドルの曲をかけてテンションを上げる。ベッドから起き上がって、電車が遅れていないか、雨が降らないかを確認する。僕たちの生活は、ソフトウェアによって始まり、ソフトウェアを使って働き、ソフトウェアに従って料理したものを食べ、ソフトウェアとともに眠る、と書くと恣意的なクローズアップ現代だけど、生活がソフトウェアによって成立しているといっても、まったく大げさではない。
ソフトウェアとは何か?を考えるために、対比としてのハード(硬い)ウェアとは何かを考えると、それは物理的な機械(硬い)であり、電子部品が集合したスマートフォン(硬い)やパソコン(硬い)を、思い通りに動かす手順や命令がソフト(柔らかい)ウェアということになる。結局のところ、ソフトウェアはソフトである点が特長のように思う。かんたんにかたちを変えられないハードウェアとは違って、ソフトだから、僕たちの生活のかたちにぴったり寄り添える。
AIの進化のおかげで、誰でもコードを書けるようになった。コードはソフトウェアを構成する大きな要素のひとつだから(それだけで作られるものではないが)、誰でもソフトウェアを作りやすくなった。僕もその恩恵にあずかっているひとりで、最近は自分がこれまで使っていたソフトウェアを、自分の使い方に合うように自作し、置き換えている。例えばRSSリーダーを作ったし、Obsidianというアプリケーションで管理するメモを複数のデバイスで同期するサーバーも作った。サブスクリプションサービスの利用料金を節約したいぐらいのモチベーションで始めたものではあるけれど、実際に作ってみたら想像以上にしっくりきて、むしろこれって人間の営みだよなって思うようになった。
ソフトウェアが生活を作っているのだから、ソフトウェアを作ることは生活を作ることなのではないか。どうして食事は自炊するのに、ソフトウェアは自作しなかったのか。作る手段を持った今なら、包丁があればトマトを切れるように、鍋さえあれば米を炊けるように、Claude Codeとソフトウェアを作れる。決して大きな話ではなく、ささやかで小さなソフトウェアを。