インターネットをさがして

インターネットをするときは、ひとりだ。

それは、キーボードとマウス、あるいはタッチパネルのインターフェースが、ひとりで操作するものとして設計されているからだし、ログインフォームはひとりの存在を認証する画面だからなのかもしれない。でも、インターネットをしてるとき、ひとりでいることの意識は、例えば部屋でひとりで本を読んでいるときより、少ないように感じる。ひとりなのに、ひとりでいることを忘れそうになるのは、このインターネット回線でつながったコンピューターのむこうに、わたしではない誰かがいることを、画面を通じて知ることがあるからだ。

このことを、僕は「インターネット」と呼びたい。いや、このことだけが、「インターネット」ではない。僕は、たぶん、「インターネット」が好きだ。でも、その「インターネット」がなにを指しているのか、よくわかっていないんだ。

ふつう、息をしているだけや立っているだけで、自分が生きていると実感することはむずかしい。すごくおいしいものを食べたとか、大好きな人と手をつないだとか、生きていることがすばらしいと思えたとき、あるいは、その反対に生きていることが脅かされたとき、輪郭があらわれる。それ以外の時間だって、というよりも生きているほとんどの時間は、事件なんか起こらないのに、あるいは、事件が起こっていたとしても気づかないのに、それでも、同じように生きているのに。きっと、僕が好きな「インターネット」も、このような仕組みを持っているのではないかと思う。

日記を書きはじめたのは新卒2年目の春からだったんですけど、そのときは超ブラックな会社だったから、なんか毎日がほんとコピペみたいな感じで、なんで生きてるんだろうみたいになった時期があったんです。だから、ごはんがおいしいとか、通勤中に変な人がいたとか、そういう日々のちっちゃな変化をメモしようと思って。

──なるほど、写真を撮るような感覚だったんですね。

そもそも手書きで書いていたのは、文字が検索に引っかかりたくなかったからで。自分のモチベーションのために SNS でやっていただけで、文字も小さいし、わたしのなかでは紙の日記の延長なので、あんまり公開されている感覚はありませんでした。見てくれている人はいるつもりで書くけど、読んでくれなくてもいいよ、というか。

──でも、やっぱり見てほしいという気持ちはあるんですか?

それはありますね。なんでだろう。ライクとかリブログついたらうれしいけど、なんでリブログするんだろうって思います。見られるのはうれしいけど、そんなに見てほしくないって気持ちもあるんですよ。

朝、起きてから、きのうを振り返って日記を書きます。あしたを待たずしても、きょうはもう終わりだなっていうときもあって、そういうときはその日の夜に書いてから寝ます。日記を書くことで、きょうを強制終了して。暇だから、やってるね。暇なときは、筆が進むということがわかってきました。暇というか、心に余裕があるというか。それこそ人と付き合ってるときは、ぱたっと更新してなかったし。

──たしかに、ツイートしてるようなことって、誰かに言えるならそれで気が済んだりしますよね。

そうなんだよ。別にいいねを稼ぎたいとかじゃなくて。さみしいんだね(笑)特に最近の日記は情報量が多くて、それだけ人に話せてないってことなのかもしれない。

──でも、日記には書けるし、インターネットには載せられるんですね。

喋りたいんだけど、おこがましいじゃないですか、自分の話を聞いてもらうなんて。きょうあったこととか話すのがほんとうに嫌いで、聞かれるのも話すのも恥ずかしいなって思います。人の話を聞くのは好きなんですけど。インターネットは、話し相手。なんか、恥ずかしいな。

──インターネットの人に会ったことってありますか?

さいきん引っ越したんですけど、自分と同じ街に、というか徒歩3分圏内ぐらいのところに、いつも日記にライクをくれる人が住んでて。その人と会うときは、お互いにインターネットの距離感で、いままでにない変な感じがする。名前は明かしているが、呼び合ったりはせず、若干の敬語の壁はありつつみたいな。まさかこの日記を読んでる知らない人がいるんだな、インターネットすごいなって思いました。

あと、けっこう最初のころから全部の日記にライクをくれる人がいて、落ち込んでる日記を書いたら、頑張れみたいなメッセージをくれたことがあって。うれしかったし、事件でした。全然関係ない人生なのに、ありがとうございますって気持ちになりました。自分が思ってる以上に、意外と読んでるんだなって。恐ろしいね。

日記に書いてる言葉は公開することが前提の言葉で、非公開の日記だったら絶対書いてるようなことも、誰かを不幸にさせるようだったら書かない。だから、ある意味ちょっと嘘だね。隠してることがある。似顔絵も、もっと似せられるようだったら似せることもできるけど、そこまで頑張らなくてもいいやって気持ちがある。嘘というか、コピーだし。でも、最近見てますって言われることがあるから、似せなくちゃって緊張してるかも。

最初の目的からすると、自己満足でやってるわりに、いろんな人との出会いがあるし、仕事に繋がってるっていうのもあるし、自分の人生のリアルなほうに、良い影響をもたらしてくれている気はする。

さいきん人から言われて決心がついたのは、はやいとこ結婚とかしないとダメだなというか、こうやって絵を描いたりして、なにかひとりでいることに満足してしまうタイプだから、それはよくないよって言われて。たしかにって、まず婚活をがんばろうと思いました(笑)

──それってよくないんですかね?

わかんない。よくないんですかね。それを目指してるわけでもないけど、ツイートばっかりするインターネットおばあちゃんになるのもちょっと怖い。いまは楽しいけど、老後もこんな感じだったらいやだなあ。鹿くんもそうですか?

──独身のおっさんになりたくないっていうのは、ありますね。

同じくだよ。だから出会いを焦るとかいうわけではないけど、そういう将来はやだなって思いながら日々生きてる。

インターネットをするときは、ひとりだ。言い換えれば、ひとりでいる時間を認めることが、インターネットなのかも。きょうあったできごとを、家に帰ってぬいぐるみに話しかける人がいるみたいに、インターネットに話しかけるような自分でいても、いいのかな。インターネットは、僕の話をいつも黙って聞いてくれる。

このことを、僕は「インターネット」と呼びたい。いや、このことだけが、「インターネット」ではない。僕は、たぶん、「インターネット」が好きだ。でも、その「インターネット」がなにを指しているのか、よくわかっていないんだ。「インターネット」って、なんなんだろう。

旅行って、ちなみに行きますか?

旅行の移動が好きで。寝てるのも含めて、移動して時間が勝手に過ぎてて、身体も動くじゃないですか、好き。よくわかんないね。

写真とか撮るんですけど、別におもしろいものを撮ろうとかじゃなくて、自分が移動した実感が湧いたポイントで撮ってるから(笑)それが楽しい。絵で再生してもいいし、写真でもいいんですけど、その「移動したぞ」感がたまらない。自分の意図と関係なく運ばれていく感じが、すごく好きなのね。怖くなるよ。このままどこに行くんだろうみたいな。帰りたくないな、みたいな。

これは、僕の「インターネット」を探す旅です。

2016年にインターネットで公開したテキスト。執筆にあたって、鳩さん(@tyore)にご協力いただきました。ありがとうございました。