前世

川崎に住んでいるのは、喘息の医療費が安いから。川崎市に1年以上住んでいれば、区役所で申請するとペールオレンジのカードをもらえて、それを病院へ持っていくと健康保険の適用で3割負担のところが1割負担になる。月1500円のところが500円になる。たかだか1000円のちがいだが、1年では1万2000円になる。川崎に住むことは、他の街に住むよりも年1万2000円のメリットがある。なぜ、川崎だけが安いのだろう。かつて誰かが、その1万2000円を勝ち取るために闘ったのかもしれない。誰が闘ったのかも、この街でなにが起こったのかも、いまとなってはなにも知らないが。喘息は治る病気なのだろうか。何年もおなじ薬を吸い込んでいる。薬を吸い込むことはマイナスをゼロにするだけだ。かつてなにかと闘って、やっと1万2000円を勝ち取った知らない誰かは、それでマイナスをゼロにできたのだろうか。

嘘みたいな水曜日。川崎は、ずっと雨だった。雨戸も閉めっぱなしだった。この部屋は窓がひとつなので、雨戸を閉めると昼なのか夜なのかわからなくなる。昼なのか夜なのかわからない部屋にずっとひとりでいると、静かな宇宙船に乗って、どこか遠くへ運ばれているような気がする。これは、2020年4月1日に書いた日記。エイプリールフール。その1週間後、川崎には緊急事態宣言が発令された。テレビの記者会見を横目に、燃えるゴミを出しに外へ出たら、いつもと同じようにおだやかな郊外の風景が広がっていて、これが緊急事態なんて笑っちゃうねと思ったことを覚えている。

毎朝、全速力で自転車を漕いで駅へむかい、それから満員電車に乗ってトライアスロンのように会社へ通っていたなんて、そのあいだになにを見て、なにを考えていたのかなんて、前世みたいに思い出せない。体重は10キロ増えたし、眠れなくなり、夜明けは多摩川の河川敷をずっと歩いていた。てっきり自宅で働いてると思ってたけど、じつは職場で寝泊まりしていたのかもしれない。これは、2020年3月16日に書いた日記。たとえば、たくさんのことがあった2011年にどんな気持ちでいたのか、いまとなってはうまく思い出せないみたいに、2029年になったらこの気持ちもうまく思い出せなくなるだろう。

今年いちばん買ってよかったものは、ノイズキャンセリングヘッドホンのWH-1000XM4。軽いし、1日つけっぱなしでも電池がまだ60%ぐらい残ってるし、自分の頭のかたちにあわせて作られたかのようにサイズがぴったりで着け心地がいい。ノイズキャンセリングイヤホンは耳の穴に詰めるので、装着すると耳栓のような感覚がある。でも、ヘッドホンは耳とスピーカーのあいだに空間があるので、無音というよりは、まるで無響室にいるように、音の反射がなくなると表現するほうが近いと思う。晴れた日中は窓を開けて外からの風を入れるが、車が走る音は気にならない。これは、2020年10月21日に書いた日記。

消化試合みたいな夏だけど、ワクチンが開発されるまでの人生も、きちんと寿命にカウントされているんですよね。テレビをみてたら、マスクのしすぎで蒸れた肌を、化粧の上から拭けるウェットティッシュのCMをやってたよ。気持ちのやり場がない夜は、冷房を22℃に設定してしまう。それでも眠れないと、目をつむって、幽体離脱した様子を想像する。ベッドに横たわる自分のからだを見つめたあと、ドアを開けて部屋の外へ出て、マンションの共用部を通って、頭のなかで思い描けるだけ遠くへ出かけてみる。やがて駅について、小田急線に乗って新宿へむかっていると、想像が追いつかなくなって、いつのまにか眠ってしまう。世界が、この大戸屋新宿センタービル店みたいに、みんなひとりぼっちならいいのに、とか思ってたけど、ほんとうにみんなひとりぼっちになっちゃったね。これは、2020年8月19日に書いた日記。

感染の拡大を防ぐのか、経済を優先するのか、みたいな議論を見るたびに、かつて通っていた渋谷の風景を思い出す。再開発の影響で毎日のように工事の場所が変わり、駅の構内はダンジョンのようだった。歩道橋が突然なくなったり、生まれたり、階段の位置も、段数も変わっていく。そんな道を歩きながら、この街は人間のことを頭の数でしか考えていない、人間より経済を優先する街だよなと思っていた。これは、2020年7月14日に書いた日記。

海水の塩分濃度は3.5%だから、500ミリリットルの水に17グラムの塩を混ぜて、うまれてはじめて解凍したシーフードミックスにはイカばかり入っていた。駐輪場の精算機に入れる小銭が足りなくて、しかたなく自動販売機で買ったドクターペッパーが、自転車のかごに揺れている。べつに寂しくも悲しくもなくて息が苦しかっただけなのかもしれないと思いながら、マスクを顎まで下げた。これは、2020年9月21日に書いた日記。

ぜんぜん別の場所にあるものが、重なって見える。いま起こっていることが、いつか体験したことのように感じられる。速すぎてよく見えないけど、出会った瞬間に別れている。それを繰り返している。からだの輪郭が高速に振動して、中と外が入れ替わっている。なんども死んでは、生まれ変わっている。それはそれとして、わたしたちはきょうも暮らしていかないとならないから、便宜上こんなことを2020年と呼んでやりすごしているわけなのだが。

この詩は、2020 Advent Calendar 2020の13日目の記事として書かれました。
きのうはmarrさんでした。あしたはyamanokuさんです。