歩いていると、言葉がどんどん思い浮かぶ。やがて言葉が先を歩いて、それに身体がついていく。

新しい靴が、新しい鞄が、新しい上着が、新しい傘が、新しい財布が、新しいスマートフォンが、新しい音楽が、僕をどこかへ連れていってくれる。高架下に張られた立入禁止の緑色のフェンスに、立ち入りが禁止されていない朝日が差し込む。べつに寂しくも悲しくもなくて、息が苦しかっただけなのかもしれないと思いながら、マスクを顎まで下げた。僕は喘息だから、苦しい気持ちはよくわかる。僕は人間じゃないから、人間じゃないやつの気持ちはよくわかる。

みんな、話すことがなくなるまで自分の話をすればいい。それぞれが、ほんとうの意味で、自分だけを大切に考えることができたなら、この場所はもっとよくなるはずなんだ。

苺にかかったシュガーパウダーが雪みたいだったから、ショートケーキはコンビニで買えるスノードーム。まだ現金で支払っているのは、病院と、美容室と、ケーキ屋と、駐輪場。精算機に入れる小銭が足りなくて、しかたなく自動販売機で買ったドクターペッパーが、自転車のかごに揺れている。土曜の朝に出せる自信がなくて、金曜の夜は燃えるごみの日。ごみ袋を包装している、ごみ袋みたいなビニール袋。やさしいから、他人の気持ちをずっと考えてしまう。考えたところで、やさしくないから、なにもせず、やがて忘れてしまう。

思い出した。こういう気持ちだった。人間が電車で運ばれているのか、あるいは人間が電車を運ぶための緩衝材なのかもしれなかった。それが「人数」の世界だった。かつて、この世界では命の量を人数で数えていたのだ。

Bluetoothイヤホンの音が途切れると、渋谷に来たなって感じがする。なにか大切なものがあったような気もするし、そういう話を落ち着いたらゆっくりしたかった気もするけど、うまく思い出せないまま電車はプラットホームにやってきて、なぜか乗ることになっている。いつのまにか鳴っていたスタートの合図が、どんな音だったのか知らない。

話すことがなくなったら、誰かの話を聴いてあげればいい。それこそが「人数」に対抗できる手段なのだから。快速急行に乗っても、急行に乗っても、準急に乗っても、各駅停車に乗っても、言葉がどんどん思い浮かぶ。やがて言葉が先を歩いて、それに身体がついていく。新しい言葉が、僕をどこかへ連れていってくれる。

この詩は 2021 Advent Calendar 2021 の3日目の記事として書かれました。
きのうは似非原さんでした。あしたは、kusakerさん、ちかくさん、oooooooooさんです。