台所らしき風景のなかに無造作に置いてあるキッチンペーパーにピントが合っていて、まるで彫刻作品のように見える。

2021年は、写真を撮るのが好きになりました。もともと好きでカメラも持っていたけれど、「コロナ禍」から出かけることが少なくなり、めっきり持ち歩かなくなっていました。転機だったのは、もっと小さなカメラへ買い換えて、単焦点の軽いレンズを手に入れたこと。ボディとレンズをあわせてもペットボトル1本分ぐらいだから、とりあえず鞄に入れておけるようになりました。また、40mmの焦点距離で撮った写真は、自分の視界の広さに近く感じられました。このレンズしか使わなくなったので、ほかの手持ちのレンズを手放してしまったほど、好きになりました。

道に倒れている自転車が、木や枝の影に同化している。

そんなわけで、もっぱら近所の川へ散歩に出かけて、写真を撮るようになりました。夏の朝、遠くに太陽が昇る様子を見ながら、のんびり歩く気分は最高でした。自宅へ帰ったら、カメラからSDカードを取り出して、撮った写真を1枚ずつ見返します。その時間は、さっき歩いてきた道を写真でたどるふりかえりの時間でもあるし、なぜこの写真を撮ろうと思ったのか、改めて考える時間でもありました。たくさんの写真のなかから良いと思った写真を選ぶことは、シャッターを切った瞬間のなかから、さらにもういちどシャッターを切っているような感覚でもありました。

遠くに朝日が昇っている、川の水面を臨んでいる。朝日が水面に反射して、輝いている。空には鳥の群れが舞っている。

写真を撮るときは、RAWと呼ばれるファイルへ記録する設定にしています。この設定にすると、レンズが捉えた光をイメージセンサーが変換したデータがそのまま残るため、ファイルをLightroomなどのソフトウェアに読み込めば、写真を構成するさまざまなパラメーターをあとから編集できるようになります。最初はなにを変えればどこがどうなるのかまったくわからなかったけど、YouTubeでほかの人の操作を見たり、なんども遊んでいるうちに、パラメーターと画面の対応する関係が、なんとなくわかってきました。

橋の隙間から差し込む光が、高架下に張られた、立入禁止の緑のフェンスを照らしている。

パラメーターをいじっていると、撮影したときには見えていなかった光の存在に気づくことがあります。たとえば、ハイライトやシャドウの値を極端に高く、または低く変更すると、白く飛んだり黒くつぶれていた箇所にも、じつは映り込んでいたなにかが見えるようになります。その反対に、白く飛ばしたり黒くつぶして、映り込むものを少なくすることもできます。要素を減らせば、まるで舞台へスポットライトを当てるように、写真から受ける印象も変わります。一枚の写真から、やりようによってはまったく別の一枚もつくりだせる。この作業もまた、写真のなかでもういちどシャッターを切るようで、パソコンにむかってひとりで熱中していました。

アスファルトに落ちている、なにかわからないかたちをした緩衝材のかけら。

ホンマタカシの「たのしい写真1 よい子のための写真教室」(平凡社)という本を読むと、冒頭にこんなことが書かれていました。

《写真は現実をとらえたものである。しかし、それは同時に、誰かに意図的に選び撮られたものであり、編集され、加工されたものかもしれない。現実であると同時にいくらでも加工可能であるという、この二重性が写真の特徴です。いや、もっとはっきりと言えば、「どうとでもなり得る」という多重性こそが、写真の本質なのです。ヴァルター・ベンヤミンの言う「本物にたどり着かない芸術」。そこが写真の一番面白いところなんです。》

光を画材にして、イメージを描く。真実と嘘のあいだを、いったりきたりしながら、シャッターを切るたびに考える。シャッターを切ったから、考えるための手がかりが得られる。レンズを通すことで、眼では見えなかったものが見えるようになる。

一面に広がる緑色の草むらのなかに停まっている、一台の自転車を見下ろしている。

見たままの様子を写真に残すのは、シャッターを切るだけでは難しい。なぜなら、わたしたちは眼というレンズが受け取った光を、イメージセンサーが変換したRAWのデータとしてではなく、画像処理したイメージとして見ているからです。たくさんの選択の果てに、ひとつのイメージへ結実した写真には、わたしがどのように世界を見ているのか、その視線が詰まっています。

草が生い茂る森のなか、すこし先のほうから光が差し込んでいる。

ぜんぜん別の場所にあるものが、重なって見える。いま起こっていることが、いつか体験したことのように感じられる。速すぎてよく見えないけど、出会った瞬間に別れている。それを繰り返している。からだの輪郭が高速に振動して、中と外が入れ替わっている。なんども死んでは、生まれ変わっている。それはそれとして、わたしたちはきょうも暮らしていかないとならないから、便宜上こんなことを写真と呼んでやりすごしているわけなのだが。

水面にカヌーがひっくり返って浮かんでいる。それを、誰かが抑えている。その周囲に、水の波紋が広がっている。

自己紹介が遅れましたが、鹿といいます。GMOペパボ株式会社で、デザイナーとして働いています。この記事は、ペパボのデザイナーが日替わりでアウトプットする企画である GMOペパボデザイナー Advent Calendar 2021 の1日目の記事として書かれました。次回は12月5日、おなじデザイン部で働くチームメンバーの@mewmoさんへ、バトンをお渡しします。